誰かの犠牲と、
誰かのお蔭。
僕は「あなたの犠牲の上で生きています」
と言われるよりは
「あなたのお蔭で生きています」
と言われる方が、きっとすごーーーく嬉しい。本気で嬉しい。
だから、誰かや何かを犠牲にして生きていると考えるよりは、
いろんなもののお蔭で生きていると考えた方がおそらくいいな、と
考えています。
実はあらゆる人が、どこにも誰にも「迷惑」なんかかけていないし、
そしてだから、あらゆるものの「お蔭」によって生きているはずです。
罪悪感の強制は、きっとまやかしです。
仕事にしても、ある一つの仕事を奪い合ったりする構図というのは
おそらく違って、
例えば誰かがある分野でいい仕事をしたら、
そこが活気が出てきて、ああこういう事もできるぞ、みたいに新たな仕事や活動が
どんどん増えて、それが広がっていく仕組みなはずです。
だから、僕がさせて頂いている大切な作曲の仕事にしても、それは
ある時どこかで誰かがいい仕事をしてくれたから、活気を出してくれたから、
そのお蔭で発生しているのかもしれない。
おかげさまです。
ありがとうございます。
他人と争うくらいなら、僕は
もっとわくわく、理屈ぶち抜いた曲創っていたいし、その方が長者にもなれる。
一万円落ちていて一日中おりゃーとか喧嘩しているよりは、
その分の時間で十万円以上の仕事をします。
欠乏感も、まやかしで、
仕事も豊かさも、おそらく無限に発生します。
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