みずかげ ぶろぐ

わくわくだったり、自分自身へのゆるし、そんなゆるゆるだったりな、日々の事です。いつも愛と感謝です。

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4/21のことなど

すごく長文です。


月曜日。
秋葉原Club Goodmanさんでのライブ。
朝、急遽kanikuso主宰の迫田さんから
知り合い複数人連れていきます。との連絡が入りまして、そりゃあもう
あああ気合い入れますとなったわけです。

いつものジンベエ。作務衣。
リハーサル。キーボードの電源が落ちる。入らない。入った。
いろいろ書いたライブ中のカンニングペーパーをなくす。
なくしたことはどうでも良くて、未使用のお年玉年賀はがきを
ホチキスで止めて、メモ帳として使っていたので、
ちょっとだけ恥ずかしかった。

本番。でない音がある。いいや。
一番楽しんで、できた。

迫田さんに褒められたのが、何より嬉しかった。

ライブ終了後、みんなで近くのお蕎麦屋さんへ。
僕はごはんと、枝豆。

真面目な話をいっぱい聞いた。
迫田さん。サカシゲさん。磯村さん。ryuto君。
皆さん、本当にありがとうございます。


--

帰ってから、一日経ってから、マラソンしながら、
福田さんに関して思う事は
自分が自分にそう感じているんだなって、思った。

この国に対して、僕自身が本当はどう感じているのか、
それを知った。

--
金銭の大小で、人の行動を決めがちか。僕は。
そういうことも、考えた。

金銭の大小で、僕は気分が大きくなったり、えらぶってみたりする。
同じ事をしていても、儲かっているとえらいとなる。
得ている金がすくないと、この国におそらくある、謎のまずしさ感がおしよせる。
そういう虚構だ。

行動自体はどうでもよくて、付随している金額で
何かを判断している事になる。


鼻くそをほじって100万円もらえるのと
鼻くそをほじって10円もらえるのと
鼻くそをほじって100円払うのでは
ぜんぶ、鼻くそをほじっているだけではないか。


金銭による行動判断は、おそらく虚構だ。
それはお金の大切さとは、おそらくまったく別だ。

--
収入がどうこうより
ゆとりがあるかどうかというそういう問題かもとも、思う。
同じお金の使い方をしていても、その人にゆとりがあるかどうかの問題だと
考えてみた。

時間とお金は何かが似ていて、
時間を、ゆとりをもって使えるなら
お金もおそらく、ゆとりをもって遣える。
ゆとりある生活になる。

どの瞬間も何らかの行動はしているから、
何をしていても時間は使っているし、
たとえば30分空いたとして、無理やり何かを
つめこんでしまうとしたら、3000円手元に残ったとして、
何かをすぐに買ってしまうというその類似点だ。
時間のゆとり。お金のゆとり。ゆとりを考えたほうが
貯まる気がする。

「こつこつと、貯蓄をしよう」って大きく書いて、
壁に貼っておけばお金は貯まります。
おそらく、にしておいてください。

--
都内の駅のトイレで、
年輩の同性の方に春を買われそうになった。
3か月前。
興味をもって頂いた事はいいことだとは思ったから、
「ありがとうございます」といって辞退させて頂いた。

それが、僕が仕事とかお金とかとにかく考え始めたきっかけだ。
金額の提示とかはなかったけれど、そのとき買いたい機材とか
あったから、帰り道、いろいろ考えた。

はた・らく=ひとを楽しませるってなんだろうとか。
その人の我欲を満たしてあげることが、
「楽しませて」あげる事なのか、とか。

たとえば、法律で決められているから僕は辞退したのか、とか。
たとえば、動く金額が多いから犯罪か、
無料でやってあげたら僕はいいやつですか、とか。

じゃあ普段の仕事で、もらう金額が多い仕事をやっている人は
悪人で、無料だったら良い人間なのか、とか。
それは先にもあげた、
行動とは別の部分を判断しているのではないか、とか。


お金も法も、みんなを楽しませるためにあるんだろう。
みんながより楽しくなるためにみんなで創っている、決まりだ。

決まりそのものに圧迫感を感じたら、自分から、ゆとればいいと思う。

お金で苦しんだりする必要性は0だし、
お金という決まりの中で、全員が楽しくなれる。幸せになれる。
ゆとりをもてる。
それは完全に可能であると、考えるわけです。

すごく長文です。


月曜日。
秋葉原Club Goodmanさんでのライブ。
朝、急遽kanikuso主宰の迫田さんから
知り合い複数人連れていきます。との連絡が入りまして、そりゃあもう
あああ気合い入れますとなったわけです。

いつものジンベエ。作務衣。
リハーサル。キーボードの電源が落ちる。入らない。入った。
いろいろ書いたライブ中のカンニングペーパーをなくす。
なくしたことはどうでも良くて、未使用のお年玉年賀はがきを
ホチキスで止めて、メモ帳として使っていたので、
ちょっとだけ恥ずかしかった。

本番。でない音がある。いいや。
一番楽しんで、できた。

迫田さんに褒められたのが、何より嬉しかった。

ライブ終了後、みんなで近くのお蕎麦屋さんへ。
僕はごはんと、枝豆。

真面目な話をいっぱい聞いた。
迫田さん、サカシゲさん、磯村さん、ryuto君、
みんなありがとうございます。

--

帰ってから、一日経ってから、マラソンしながら、
福田さんに関して思う事は
自分が自分にそう感じているんだなって、思った。

この国に対して、僕自身が本当はどう感じているのか、
福田さんはいろいろな事を、僕の内面の鏡として、映し出してくれている。

にこにこ、元気になって頂けたら、それが何よりだって思う。


--
金銭の大小で、人の行動を決めがちか。僕は。
そういうことも、考えた。

金銭の大小で、僕は気分が大きくなったり、えらぶってみたりする。
同じ事をしていても、儲かっているとえらいとなる。
得ている金がすくないと、この国におそらくある、謎のまずしさ感がおしよせる。
そういう虚構だ。

行動自体はどうでもよくて、付随している金額で
何かを判断している事になる。


鼻くそをほじって100万円もらえるのと
鼻くそをほじって10円もらえるのと
鼻くそをほじって100円払うのでは
ぜんぶ、鼻くそをほじっているだけではないか。


金銭による行動判断は、おそらく虚構だ。
それはお金の大切さとは、おそらくまったく別だ。

--
収入がどうこうより
ゆとりがあるかどうかというそういう問題かもとも、思う。
同じお金の使い方をしていても、その人にゆとりがあるかどうかの問題だと
考えてみた。

時間とお金は何かが似ていて、
時間を、ゆとりをもって使えるなら
お金もおそらく、ゆとりをもって遣える。
ゆとりある生活になる。

どの瞬間も何らかの行動はしているから、
何をしていても時間は使っているし、
たとえば30分空いたとして、無理やり何かを
つめこんでしまうとしたら、3000円手元に残ったとして、
何かをすぐに買ってしまうというその類似点だ。
時間のゆとり。お金のゆとり。ゆとりを考えたほうが
貯まる気がする。

「こつこつと、貯蓄をしよう」って大きく書いて、
壁に貼っておけばお金は貯まります。
おそらく、にしておいてください。

--
都内の駅のトイレで、
年輩の同性の方に春を買われそうになった。
3か月前。
興味をもって頂いた事はいいことだとは思ったから、
「ありがとうございます」といって辞退させて頂いた。

それが、僕が仕事とかお金とかとにかく考え始めたきっかけだ。
金額の提示とかはなかったけれど、そのとき買いたい機材とか
あったから、帰り道、いろいろ考えた。

はた・らく=ひとを楽しませるってなんだろうとか。
その人の我欲を満たしてあげることが、
「楽しませて」あげる事なのか、とか。

たとえば、法律で決められているから僕は辞退したのか、とか。
たとえば、動く金額が多いから犯罪か、
無料でやってあげたら僕はいいやつですか、とか。

じゃあ普段の仕事で、もらう金額が多い仕事をやっている人は
悪人で、無料だったら良い人間なのか、とか。
それは先にもあげた、
行動とは別の部分を判断しているのではないか、とか。


お金も法も、みんなを楽しませるためにあるんだろう。
みんながより楽しくなるためにみんなで創っている、決まりだ。

決まりそのものに圧迫感を感じたら、自分から、ゆとればいいと思う。

お金で苦しんだりする必要性は0だし、
お金という決まりの中で、全員が楽しくなれる。幸せになれる。
ゆとりをもてる。
それは完全に可能であると、考えるわけです。


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